反論とは何か
反論とは、以下のように定義されてます。
相手の論や批判に反対の意見を述べること。また、その議論。「―の余地がない」「論評に―する」
--- kotobank ---
簡単に言うと、反対の意見を述べるということですね。
人は、何故この反論に対して怒りをもつのでしょう。
それは「敵対してる」とか「私の意見に同意しないのはおかしい」という心理があるからです。
「これもひとつの貴重な意見だ、うんうん」と思い、怒りの感情をなくせば反論者への苛立ちはなくなりますが、人間はそう単純に割り切れるものではありません。
では、どうすればよいのでしょう。
意見をコンテンツに置き換える
反論を「自分と異なる意見」と思うから怒りは増幅するのです。
だったら、意見と思わないようにしましょう。
私は、意見はコンテンツだと捉えています。
反論もこの世を成立させるコンテンツのひとつなのです。
たとえば、あなたが利用したいと思っているWebサービスがどれもこれも同じ内容のものばかりだと、辟易して退屈にならないでしょうか。
それと同じで、同じ意見ばかりだと酷くつまらない世の中になってしまいます。
ウェブの世界は様々な異なるサービスやサイトがあるから、ユーザは楽しみが倍増しますし、製作者側にも意欲がでてくるものです。
反論もコンテンツのひとつだと思えば、自分の意見(自分のコンテンツ)と違っていて当然だし、自分のコンテンツを更に良くする切磋琢磨するコンテンツとして捉えるべきです。
ただし、コンテンツにも良いものと悪いものがあります。それを見極めて判断するのは必要です。
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